芦屋国際特許事務所 ASHIYA INT'L PATENT AND TRADEMARK ATTORNEYS

EPOでの新規事項

1 EPO(ヨーロッパ特許庁)の実務で困る点は,
・ 審査が遅く,権利化前に高額の年金が発生する,
・ 補正の条件が出願書類から「直接かつ一義的に」導けることであり,しかも新規事項のチェックに審査官が精力的に取り組むため 「補正は新規事項を含んでいる」というだけの拒絶理由を受けることがある,
・ 審査官の裁量範囲が広いため ,「発明の本質的要素」がクレームに欠けている,などのしばしば主観的な拒絶理由を受けることがある,ことのように感じます.

 審査が遅い点は,加速審査を申し立てることによりある程度解消できます.申し立てに,実施している,重要発明である,等の証拠は不要で,EPOへの料金も不要です.

 「補正は新規事項を含んでいる」との拒絶理由も, 「発明の本質的要素」を限定せよとの拒絶理由も,反論すると,大抵の場合,克服できます.しかし時間と費用を些細なことに費やすことになります.

 「補正が新規事項を含む」との問題は,スキルの高い現地代理人が補正書の作成に参加すれば減ります. 「新規事項」とのトラブルを全く起こさずに対処してくれるため,EPOでそのようなことが問題になると意識させない現地代理人もいます.どちらかというとこのような代理人が多いと思います.この一方で,日本からの指示をそのまま実行し,EPOの実務に沿って修正しないため ,「新規事項」との拒絶理由を誘発しやすい代理人もいます.

 どの国でも,補正の実務は,新規性/進歩性を明確にすることと 「新規事項」との,バランスです.特に我々は,日本特許庁で要求される程度に明瞭なクレームを書くことに慣れ,また出願時の明細書から当業者に自明な範囲で補正できるとの考え方に慣れています.しかしながらEPOでは,クレームの明瞭さよりも「新規事項」のリスクを重視し,当業者から自明との基準よりも,明細書にその通りの文言が有るかどうかを重視する方が良いようです.

 なお,明細書が当業者に何を開示しているかよりも,明細書の文言を重視する点は,中国特許庁も同様です.またかつては,日本でも同様の傾向が見られました. 「新規事項」を極端に重視する考え方は,EPOに固有なものというよりも,パテントシステムが陥りやすい問題の1つと考えた方が良いと思います.

 ここでは,EPOでの「新規事項」の基礎にある概念と,対策について書いてみたいと思います.

2  EPO Guidelines for Examination Part H Amendments and Corrections
 補正に関するEPOの審査基準はEPOの「Guidelines for Examination」のPart H
にまとめられており,EPOのホームページから入手できます.主な事項は,4章 補正の可否,特に2.3 の「出願当初の内容 一般ルール」と,5章 補正の可否-例,特に3.2.1「中間的な一般化(Intermediate Generalisations)」に有ります.日本語訳は塩入により,カッコ内の日本語は塩入が補った言葉です.

3  審査基準  Part H 4章  補正の可否
2.3 出願当初の内容 一般原則: から抜粋します.

2.3 第1段落  「( ヨーロッパ特許法)123 条(2)では,出願時の開示から直接かつ一義的に導くことができない事項を,ヨーロッパ特許出願に追加する補正は認められない.ただし,出願書類に明記されている事項から,当業者に開示されているも同然の事項(any features implicit to a person skilled in the art)も考慮する.しかしながら, 123条(2)の文言は、文字通りの支持(support)を要求しているわけではない(T667/08)」:  2014年9月に更新されT667/08に言及.
 T667/08はヨーロッパ特許庁での審決番号です.なおヨーロッパ特許庁を管轄する裁判所がないため,ヨーロッパ特許庁の審決は”Case Law” として尊重されています.またT667/08は審査基準に取り入れられ,補正と同じ文言が出願書類に有ることは,123条(2)では要求されていないとしています.しかしながら現在でも,補正は当初の出願書類とは異なる言葉を用いているので(ほとんど意味が同じでも ),出願書類と同じ言葉へ戻すべきである,との拒絶理由を見かけることがあります.

2.3 第2段落  「黙示の開示には,出願書類に明記されている事項からの直接かつ一義的な結果以外のものを含まない....しかしながら,技術常識を考慮すると,明記された開示からどのような事項が自明であるかとの問題は,出願書類に黙示的に開示されている事項の評価とは関係がない(T823/96).」
EPOでの開示とは,出願書類に明記されている事項と,それから直接かつ一義的に導くことができる事項であり,当業者に自明な事項ではないことを宣言しています.この段落は,出願書類での開示の範囲を,当業者に何を開示しているかではなく, 「直接,かつ一義的」に記載されているかどうかの観点で考えることを示唆しています.

2.4  第3段階   「..出願書類は当業者に対し,技術的な聴衆に向けられたものとして,何を真に開示していたかに焦点を置くべきである.とりわけ,出願時のクレームの構造に過剰に集中する余り,出願書類全体から当業者が直接かつ一義的に導くことができる事項を忘れてはならない 」.
 2014年の審査基準で追加された段落で, 「直接かつ一義的」の範囲の中で,当業者に真に開示していた事項にも注意するように要求しています.

 以上の3つの段落が,出願当初の開示とは何かに関する,EPOの一般原則です.原則は「出願書類に明記されていることと,それから直接かつ一義的に導けるもの」を開示の範囲内とし,それ以外のものを「新規事項」とすることです.しかしながら,文言通りのサポートは不要で,当業者に出願書類が真に開示しているものが重要であるとの考え方も,含まれています.
 EPOの実務には, 「直接かつ一義的」を基準とし,出願書類に文字通りの表現がなければ補正を認めないとの従来の実務に加えて,当業者を基準とする明細書の開示範囲を加味するとの萌芽も見られます.

4 審査基準 Part H 5章 補正の可否-例
3.2.1 中間的な一般化(Intermediate Generalisations): から抜粋します.
3.2.1 第1段落  「 当初に開示された要素の組み合わせから,特定の要素を分離して抽出し,クレームの主題を限定することは,それらの要素の間に構造的な関係も作用上の関係もない場合に限りされる. 」
3.2.1 第2段落  「 要素の組み合わせから抽出された要素によりクレームを限定することが123 条(2)を充たすかを評価する場合,別々の実施例に関する個別の要素を組み合わせて特定の組み合わせを人為的に作ることができる貯水池と,出願当初の内容を解釈してはならない. 」
3.2.1  第3段階  「 特定の実施例から要素を抽出しクレームを限定する場合,以下のことが必須である.
- 抽出する要素は,その実施例での他の要素と関連せず,かつ分離不能にリンクしていないこと  及び 
- その要素を(特定の実施例から)分離して一般化し,クレームに追加することを,出願書類全体から正当化できること 」
 なお2014年以前の審査基準では,これらに加えて,抽出せずに残された要素は本質的な要素ではないこととの条件が有りました.また2014 年から,次の段落が追加されています.
3.2.1 第4段階  「 これらの条件は,中間的な一般化の個々のケースを評価するための助け(aid)と理解すべきである.... 如何なる場合にも,共通の一般的な常識を用いて当業者に黙示の事項を考慮に入れても,出願当初の内容から直接かつ一義的に導けない情報が当業者に提示されることが無いようにしなければならない 」.

 これらの基準が言っているのは,実施例からある要素を抽出してクレームを限定する場合,その要素と構造上の関係があるか,あるいは機能上の関係があるものも,一緒に限定しなければならないということのようです. 私の経験では,
・1 個の段落にいくつかの要素が説明されている場合,それらの要素を全て限定する必要がある,
・ある機能に必要な中心的な要素だけでなく,中心的な要素と関連している補助的な要素も同時に限定する必要がある,
等の拒絶理由が有りました.このような拒絶理由を事前に予測して回避するように,補正書を作成するのが,現地代理人の腕の見せ所と思います.また第4段落の「これらの条件は,中間的な一般化の個々のケースを評価するための助けと理解すべきである.」などは,機械的に「新規事項」を認定してきた,これまでの実務への反省とも感じられます.

3.2.1には5つの審決が具体例として示されています. 例1、例3を訳出します.

例1:「 補正クレームは織機のハーネスのヘドルに関する.当初のクレームは,へドルの小孔がスピンドル状である特定の実施例にのみ関係する要素により限定された.この形状は補正クレームには限定されなかった.明細書の一般的な部分には,小孔は楕円形等の他の形でも良いとされていた.このため,審判部は補正は123条(2)に違反しないとした(T300/06).」

例3:「 クレーム1は水に分散して流すことができる吸収製品に関する.補正クレーム1では,第1及び第2の繊維状のアセンブリは各々湿式の組織であるとした.出願書類は第1の繊維状アセンブリに関して,他の要素(組織に開口がある;組織には微細繊維が含まれているか,あるいは十分な固有の多孔性を備えている)との組み合わせで,湿式組織に言及していた.
 出願当初に開示されていた第1の繊維状組織は,クレーム1 に限定されなかった他の要素との組み合わせて,湿式組織とされていた.補正は当初に開示されていた技術情報を一般化し,従って出願当初の内容を越える新規事項を導入する(T1164/04).」

5.対策
 上に政策有れば,下に対策有りと言います.どうしたら良いでしょうか.実施例が明細書での開示の中心で,実施例から当業者が読み取れることが補正可能な範囲である,との考え方を忘れたふりをすることが出発点です.また複数のことを互いに関係させながら説明すると,補正可能な範囲を狭めます.さらに特定の実施例に関係する記載であって,発明全体に関係する記載ではないため補正の根拠とならない,との認定を事前に封じる必要があります.

 実施例よりも前の,例えば「課題を解決するための手段」の欄に,クレームするかもしれない事項をリストすることが考えられます.日本でのクレームには限定していない事項でも,構わずリストします.また作用効果が書かれているかどうかは,補正の可否には直結しません.実施例に,その構成の作用効果が書かれていれば,作用効果を主張可能です.これらの要素が,互いの関係を整理しながら,秩序立って書かれている必要はありません.互いの関係が秩序だって書かれていると,関連する諸要素の一部のみを抽出したとして,「新規事項」とされそうです.

 上品な対策とは思いませんが,EPOの実務ではこれで一応十分と思います.お役に立てれば幸いです.